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「ジェーン・エア」でヴィクトリア朝の闇の深さと炎の暖かさを体感しよう! [May. 23rd, 2012|12:22 am]

「ジェーン・エア」を見て参りました(公式サイト )。

原作は子どもの頃に一度読んだっきりで、しかも全然好きな話ではなかったのですが、何故か心にはっきりと残っておりまして。

今回、東京独女スタイル から試写会の招待を頂いたので、いい機会だと映画でおさらいして参りました。

実は私が「ジェーン・エア」を好きになれなかったのは、子ども時代のジェーンが大層ひどい仕打ちを理不尽にも受け続ける所にあったのですが、その辺では映画では上手に短縮されて描かれておりました。理不尽さも酷さもよく伝わってきますが、原作にあった執拗さというのが失われていたからですね。ちょっと物足りないぐらいかもしれませんが、映画全体の長さを考えると丁度良かったと思います。

というわけで映画の物語としては成長してロチェスター家の家庭教師になってからのジェーンがメインなんですが、演じているミア・ワシコウスカは実はオーストラリア出身の女優さんなんですよね。それを言ったらロチェスター役のマイケル・ファスベンダーはドイツ出身でアイルランド育ちだし、監督のキャリー・ジョージ・フクナガは日系アメリカ人だったりするのですが、そんなことは些細なことでこれは英国が舞台であると有無を言わさぬ説得力を与えるためにジュディ・デンチがフェアファックス夫人役を演じております。大英帝国も007も指先一つで思うがままに操れるデイム・ジュディがそこにおわせば、どこだろうとそこはもうイギリス。舞台は1840年代の英国ダービーシャー州になってしまうのです。

これがね、時代の再現がもう完璧にできているのですよ!

ロチェスター家のお屋敷になったハドン・ホールが素晴らしいのは言わずもがななのですが、何より素晴らしいのが夜のシーン! このお屋敷にはたくさんの部屋があるのですが、当たり前のことですが当時電気なんかありませんので、明かりが文字通りの灯火なんですよね。蝋燭だったりランプだったり暖炉の炎だったり、全てが「」。暖かいオレンジ色の光ではありますが、広い部屋を隅々まで照らすには明るさはまるで足りず、ただ側にいる人を照らすだけの役目です。まるでレンブラントの「夜警」そのままのような光の量。本当に夜の室内のシーンはとても暗いのです。

この暗さ、スクリーンの上の黒い色、これを美しいまま堪能することができるのは劇場以外にありません。テレビ画面では色調補正がかかりますのでこんなに暗く見えないんですよ。ヴィクトリア朝の闇の深さとそれを照らす炎の暖かい色を見届けるため、「ジェーン・エア」はスクリーンで見るのが一番です!

それにしても今回ミアちゃんで「ジェーン・エア」を見たことで、何故私の心にこの作品が焼き付いて離れなかったのか初めて理解できました。

それはジェーンが自立した女性で、身分や性別や財産などのために媚びることをせず、常に自分自身の尊厳を保ち続けて生きた女性だったからです。それが自分にとってマイナスの結果しかもたらさなくても、自分の心を裂くぐらいに辛い決断だったとしても、彼女が選び抜いたのは人間としての己の尊厳を保つこと。それを貫いたからこそ、彼女は頭を垂れることなく、常に真っ直ぐ前を見つめて歩み続けることができる。足は泥にまみれ、体は地に倒れようと、彼女の精神は気高いまま。その鮮烈な生き方に、当時子どもだった私さえ、心の奥で感銘を受けてしまったのでしょう。

それにしても映画で見ることで、当時の女性がどんな地位に甘んじていたのか初めて理解できましたね。子どもの頃の読書でいまいちピンと来なかった部分が補完できた感じです。

ただ、当時読んでいても主役が美男美女じゃないという点にはワタクシ物足りないものを覚えていたんですが、映画では美少女のミアにいい男のマイケルですから、こちらはホント満足度高かったです。ミアちゃんなんか「アリス・イン・ワンダーランド」ではアリス役で超可愛かったのに、「ジェーン・エア」では設定に合わせてできる限り不器量に見えるように撮ってて、スタッフさん達の苦労が忍ばれました。こちらは主にヘアメイクさんの仕事ですが、ヴィクトリア朝のヘアスタイルで、髪型自体は美しいのにミアちゃんの美貌は損なうという職人技を見せてくれてましたよ~。マイケルの方は、この方はまるで「苦悩」の二文字を全身で表現するために生まれてきたような俳優さんなのですが、これは髪と髭の色がその苦悩と情熱の向かう先を示しておりました。ジェイミー・ベルも出演してるんですが、彼も髭のおかげでずっと老成して見えて役にはまってましたね。

そして彼らキャストの演技を支えリアリティーを与えているのがその衣装です。これはアカデミー賞にノミネートされたぐらいで、当時の手法でミシンを使わず全部手縫いという繊細さ。布も仕立ても古式ゆかしく、それを着れば自然に当時の立ち居振る舞いになるのではないかというぐらい、見事に再現されております。

とにかく、衣装は生地まで素晴らしいですからね。これは小道具になるのかもしれませんが、カーテン一つとっても見応え充分なのです。たとえばロチェスター家はのお屋敷には窓にレースのカーテンがかかっているんです。今でいうところの「レースのカーテン」とは別物の、本物のレース。このレースがとても見事なので、ロチェスター家は貴族で財産家だということがわかるのです。それに比べるとジェーンの着ているドレスはどれも質素で地味で、つましい生活ぶりが手に取るように伝わってきます。

「ジェーン・エア」はスクリーンに映っている全てのものが観客に語りかけてくるような、そんな作品です。演出はジェーンの性格そのもののように抑制がきいて静かで美しいですが、内面には強く毅然としたものを秘めています。これぞまさに「ジェーン・エア」の決定版といえましょう。

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「ミッション・インポッシブル」シリーズをスクリーンで見直した [May. 18th, 2012|01:22 am]
GWに新文芸座で「ミッションインポッシブル」の1と2を久々スクリーンで見たら、感動する程おもしろかった! どっちもDVDもってるんだけど、やっぱ劇場で見る方が格段にいいわ!

もちろん「ミッションインポッシブル」が最高におもしろいから「M:I2」以降が作られたのは間違いないんだけれど、でも私は「2」の方が好きだな~♪ なんといってもハンス・ジマーの音楽がいいわ♪ ちょっと「リベリオン」を彷彿とさせるフレーズもあったりして。たまりませんな~♪

ちなみに「リベリオン」のサントラはクラウス・バデルトなんですが、彼はハンス・ジマーのスタジオで働いているので。共同作業も多いそうです。「パイレーツ・オブ・カリビアン」とかね。

「ミッションインポッシブル」の方はダニー・エルフマン(今度「ダーク・シャドウ」だね)。別に彼の音楽が劣ってるというのではなく、これは純粋に好みの問題。私、ジマー(&バデルト)の繰り出すエレキギターの調べに弱いのよ~! もう、メロメロになって悶えちゃう! 

もちろん「ミッションインポッシブル」が最高におもしろいから「M:I2」以降が作られたのは間違いないんだけれど、でも私は「2」の方が好きだな~♪ なんといってもハンス・ジマーの音楽がいいわ♪ ちょっと「リベリオン」を彷彿とさせるフレーズもあったりして。たまりませんな~♪

さて、音楽はおいといて「ミッションインポッシブル」本編の話。イーサン・ハントがキトリッジと交わす会話等に先日見た「裏切りのサーカス」で使われていた特徴的な単語が幾つも出てきたので、きちんと正統的なスパイものにのっとって作られていたんだなあと今更ながら理解したりして。

「ミッションインポッシブル」の監督はブライアン・デ・パルマ。物語上の必然ではなく、単に花を添えるためだけに女を殺しますね、この監督は。この作品では特にそれが顕著な気がする。「女は裏切る。だから殺す」って感じ。現時点で裏切ってなくても将来裏切るに決まってるから、やっぱり殺すのよ。

ブライアン・デ・パルマの場合は衝動がタナトスに直結してる感じなのよね。スリルを味わうというよりも、生と死のギリギリのはざまに身を置くことによって興奮を得ると申しましょうか。アドレナリンジャンキーというより死そのものに取り憑かれてる人よね。

だから「ミッションインポッシブル」のアクションの命がけ具合は、シリーズの他の作品の追随を許さない。よくもまあこんなこと思いついたわ、みたいなラストのアクションは何度見ても手に汗握ります。のど笛を切り裂かんと迫ってくるヘリのプロペラは、まるでジャック・ザ・リッパーのナイフだよ。

デ・パルマに比べると「M:I2」のジョン・ウーのアクションシーンは多少余裕持って見られます。矢継ぎ早に繰り出される多彩なアクションのスピード感には息をのむけれど、そのワンカットワンカットが絵のように美しいから何かもう現実離れして見えちゃうのね。もはやファンタジーの世界。

ジョン・ウーが撮ると、サラサラの黒髪をなびかせて戦うトムはこの上なく美しいのでございます。実際は戦う上ではあの髪は邪魔だと思うのですが、そんなことがどーでもよくなるぐらい美しいのです。かつてジャン・クロード・ヴァン・ダムを長髪で美しく撮ったのもジョン・ウーだったよ。

ガンアクションが華麗なのは言うまでもありませんが、「M:I2」ではトムの足技も炸裂しております。でね、肉弾戦になった時の音楽が、微妙にブルース・リーの映画(「ドラゴンへの道」)にオマージュ捧げて作られてるような気がするのね。ゾクゾクしますわよ♪


さて、シリーズの3と4も同じ新文芸座のスクリーンで見直したわけですが、こうやってまとめて1から4まで見ると「シリーズ」と銘打たれていても監督によって全くテイストが違う事を如実に感じましたね。それぞれの監督のテーマでもあるのでしょうが、ブライアン・デ・パルマだとやはりそれは「裏切り」だし、ジョン・ウーでは「男と男」だと思うのですよ。



「M:i:Ⅲ」の監督はJ・J・エイブラムスですが、これは映画では彼の第一回監督作品なので、いっちゃあなんですがあんまり成功してるとは思えないんですよね。二作目の「スタートレック」になるとずっとこなれていておもしろくなっていたので、これはやっぱりエイブラムスが「LOST」みたいな群像劇を得意とする監督であるせいかと思うのです。だとすると「M:i:Ⅲ」だとチームのメンバーが少なすぎますもんね。一応、かつてないぐらいにIMFの組織のメンバーをたくさん登場させて、その中でイーサン・ハントが翻弄されるようなストーリーになってはいるんですが、組織そのものの全体像が判然としないために一つのチームとしてまとまって見えないんですよ。やっぱりイーサンのチームというと、彼と一緒にミッションをこなすメンバーでしかないわけで、それが3~4人しかいないと仲間割れなんかしてたらミッションが遂行できないので、どうしても結束が固くならざるを得ない。そうすると本来エイブラムスが得意とする大勢のメンバーの中でのそれぞれの葛藤というのが表現できない。そこが失敗の原因なんじゃないかと思うわけです。

それともう一つ、「M:i:Ⅲ」にのめりこめないのは悪役がつまらないからなんですよね。

いや、悪役演じたフィリップ・シーモア・ホフマンは文句なしの名優ですよ。彼の悪逆非道っぷりはシリーズ屈指かもしれません。ただね、それ以上のものがないんですよ。理由もなく、ただ悪いだけなの、彼の存在って。デイヴィアンという名前はあるけれど、それまで何をして生きてきたのかは全くわからないで、ただ悪いヤツというだけなんだよね。彼が悪いことする動機がどこにあるのか、見ている側はそれがわからないので全然感情移入できないんですよ。もちろん一番の動機は「金のため」なんでしょうが、それはシリーズの1でも2でも同じだったんですよね。ただ、1ではその裏に組織への復讐という思いが潜んでいるし、2では同僚に対する嫉妬ややっかみという非常に生々しい感情が息づいている。けれど3ではそういった人間的な感情を感じないんですよ。確かにデイヴィアンはイーサン・ハントに対して腹いせ的な暴力をふるいますが、それも機械的でね、2のアンブローズが見せたようなイーサンに対する復讐の喜びというのは全然ない。デイヴィアンの場合は、単にやられたからやり返さなければ気が済まないというだけで、それをすましてしまえばもうそれ以上相手への興味もなくしてしまうんですよね。だから相手の最後を自分でみとろうともしない。

それだと、なんか、つまらないです、見ていて。まあそういうビジネスライクな人が現代社会では一番の悪党なのかもしれませんけどね、「ビジネス」という名目で金を稼ぐために他の人を踏み台にして全く平気な人達ね。でもアクション映画の悪役には適してないです、自分が悪いことをしているという認識がないから。

デイヴィアンが欲しがっている「ラビットフット」にしても、それで世界をどうこうしようというのではないんですよね。単に大金と引き替えにしたいだけなので、「ラビットフット」そのものに対する執着もない。イーサンが首尾良く手に入れてくれればそれでよし、手に入れられなければ彼の妻を殺して、それでおしまい。どうもそのイーサンとデイヴィアンを比べた時の温度差がね、見ていてしっくりこないというかのめりこめない部分なんですよね。

次に何が起こるか分からない、という意味では本当にハラハラドキドキする映画なんですが、なんかちょっと惜しいな、物足りないな、という思いが残る「M:i:Ⅲ」ではありました。


4作目の「ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル」はIMAXで見たのが最高でしたが、もちろん普通のスクリーンでも充分楽しめます。「楽しめる」という点ではシリーズ随一かな? サイモン・ペッグが出ていることもあって、全体的にユーモラス。コメディと紙一重と言っても過言ではないかも。

「4」だけ見てると案外気づかないんですが、シリーズ通して見るとこんなに失敗しているイーサン・ハントは他にないですよ。ミッションもタッチの差で成功を取り逃がしてばかりですが、それより何よりやたらと顔から激突するシーンが多くて……。映画だから平気ですが、実際にあの勢いで顔から壁にぶつかったら顔面打撲でひどいことになってますよ。天下のトム・クルーズにそんな真似させちゃうブラッド・バード監督、恐るべしです

シリーズ1から3を通じてイーサン・ハントは何度も命の危険に見舞われますが、それは敵と戦ってのこと。「2」では顔に傷をつけられさえしますが、それだってナイフで斬りつけられたからで、しかも深傷ではありません。イーサンはどんなに不可能と思えるアクションをしても失敗するということはなかったのですよ。

それがまあ、「4」では何回顔をぶつけたことか! 全身でぶつかることもありますが、それでも何故か必ずと言っていいほど顔から先なんですよね。確かにそれは「失敗」ではなく、「事故」であったり「わざと」であったりしますが、1~3のイーサンだったらそれすらあり得なかったわけで。監督違うとここまで変わるかねえと、顔をぶつけ続けるトム・クルーズを見てあきれておりました。

でも、それもひとつの繰り返しのギャグともいえるわけで、ここまで体を張って笑いをとってるトム・クルーズって、やっぱりスゴイ人だわと感心もしたりして。トムを使って観客から笑いを引き出すためにはここまでしなきゃいけないと分かってる監督もえらいんでしょうけどね。

バード監督って、アクションは俳優の生身の動きで見せてくれるんですよね♪ だから壮大な、地球の命運がかかっているような話なのに、見ている側は非常に身近な部分でサスペンスを感じられるので感情移入しやすいんです。私が好きなのは女二人の肉弾戦のシーンなんですが、そこでサビーヌ・モローが手近にあったワインのコルク抜きをめっちゃ真剣な顔して構えるのがえらく気に入ってまして。あれでいきなり相手を殺すことってたぶんできないと思うんですが、でもじわりじわりとダメージを与えて戦いを自分に有利な展開に持ち込むことはできますよね。すごいリアルだと思うのですが、反面、美女が殺気に満ちてコルク抜きを構えているシーンって、やっぱり見てるとおかしいんですよ。この絶妙なバランス感覚がバード監督の持ち味でしょうかね。真剣と滑稽が紙一重なの。

それは一番の悪役においても言えていて、この作品でミカエル・ニクヴィスト演じるコバルトって、シリーズ唯一、金を要求しない悪者なんですよね。狂信者でテロリストという設定で、彼の唱える説ははっきり言って異常で普通の人が聞いたら真に受けたりは絶対にしないものです。日本のドラマや映画でこういう人が出てくると大抵何故かへらへら笑ってるんですが、コバルトは真剣そのものでニコリともしません。彼の浮かべている表情そのものが、彼が行っているテロ行為を可能にしているといってもいいぐらいです。セリフはほとんどないのにものすごい存在感をもってこの悪役がイーサンの前に立ちはだかっていられるのは、ミカエルの役作りと演技のおかげですね。そういえば、ニコリとはしないけれどイーサンにむかってニヤリとしてみせるシーンはありました。それが唯一彼が見せた人間らしい表情かな? これがまた生きてるんですよね♪

ブラッド・バード監督は「ゴースト・プロトコル」の前はアニメーション映画を撮っていましたので、キャラクターに「人間らしさ」を与える技に長けてるんだと思いましたね。アニメキャラって、本来ただの絵ですからね。そこに命を吹き込んで人間っぽく見せるためにはそれなりの技術が必要なわけで、それを実写でもいかんなく発揮したのだと思います。見る側の心に触れるキャラクターの作り方が上手いんですよ。何より全編思いやりに満ちていて、暖かい雰囲気なのがいいんですよね♪

とはいえ、緊張感に満ちた前3作があって初めて「4」が成立するのもまた確かです。もっとも4まで見ると、IMF(インポッシブル・ミッション・フォース)が一体どんな組織なのか皆目わからなくなるというのはありますけどね。これがきっとシリーズ最大の謎でしょう。
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「裏切りのサーカス」原作「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」について [Apr. 27th, 2012|08:40 pm]
ミステリーとしての「ティンカー~」の特徴は、手がかりが「ある」ものじゃなくて「ない」ものという点かな? それぞれ違う資料の中から「欠けているもの」を探し出し、それら全てが「ない」ことに矛盾しない理由を推理することで解答に至るんだけど、「ない」ことが全部出揃うまでが大変なんだよね。

それで男社会すぎてキャラの誰にも感情移入できなかったので、誰がもぐらでもいいやと思ってただダラダラ読み進めてたので犯人捜しの醍醐味なんざ全く味わわなかったのでした。どのキャラも見事にイヤなヤツばっかりだったので、誰が犯人でも意外性を感じなかったというのもありますね。スミマセン。

このミステリーには謎解き以外にもう一つ仕掛けがありまして、ドラマとしてはそちらの方がおもしろいのです。というのはそれが深く人間の心理に切り込んでくるものだからですね。

理性というか、論理的に思考を展開した結果導き出された結論を、同じ人の自我が否定する。自我は感情によって左右され、先入観によって判断を曇らされるので、例え心の底では論理的帰結によって「コイツが犯人だ」と思っていても、「そんなことない」と表層意識が全力でその否定に努めるわけですよ。

例えば、あからさまに悪い相手にひっかかって金銭を貢いでいる人がいたとして、「アイツは悪いヤツだからやめなさい」と注意したところで、「そんな事ない。あの人は本当はいい人だ。アンタが知らないだけだ」って否定されるのがオチじゃないですか。その注意するのが「理性」で耳傾けないのが「自我」。

論理的思考って一種のツールだから、自我と別に存在してるんですよ。潜在意識下でほっといても勝手に稼働してる。集合体としての意識を一本に統括してまとめてるのが「自我」だけど、それが一本筋を通してるとは限らないんだよね。矛盾点を追求しない事によって、矛盾する事象を抱え込んでたりする。

でも本来人間って矛盾した状態でいることに長く耐えられないのね。耐えられないんだけど、矛盾した状態でいることが本人にとって都合がいい場合は、だから矛盾点をしつこく追求してくる論理的思考の方を捨てちゃう。そうやって都合の悪い部分には耳を貸さず目も向けずに生きてゆく。その方が楽だから。

「ティンカー、テイラー、ソルジャ、スパイ」は長年そうやって生きてきたスマイリーが、自分の思い込みや先入観を一枚ずつ剥がしていく過程をつぶさに描いているわけです。自我が泣いても騒いでも有無を言わせず事実を受け入れるように、「あるべきなのにない」事を証拠につみあげてね。

だから「裏切りのサーカス」でスマイリーを演じたゲイリー・オールドマンからはほとんど自我を感じない。無私の状態になって、論理的思考の邪魔をするものを完全に退けることによって視界がクリアになって、それで初めて「もぐら」がはっきりと見えるようになるという原作を見事に反映してるわけです。

原作でも映画でも、最後までスマイリーの目を曇らせているのはアンという美しい彼の妻の存在。スマイリーはほとんど崇拝せんばかりにアンを愛しているのだけど、その愛は彼に苦痛しかもたらさない。アンは作品中では実体が無いに等しくて、ほとんどスマイリーの観念上の存在でしかない。

それはどうしてかなっと考えたら、アンという人物が女性としての肉体を備えて登場したら、男性としての肉体を持つスマイリーは自我どころか本能の段階でそっちに反応してしまうからだろうと。一般的な男性が理性を清明なままに保つには、女性の肉体が側にあっちゃあいけないのね。修道院状態で沈思黙考。

まあ厳密には小説でも映画でも肉体を備えた女性がスマイリーのまわりにいないわけじゃないんですが、要するに性的対象ではないと。で、妻がいることによってスマイリーはストレート宣言してるので、まわりにどんなに魅力的な男性がいても性的対象にはなり得ないと。何の事やら。

「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」を読んでてどうしてものめりこめなかったのは、恐らくアンの美貌に恋い焦がれながらも肉体的には一線を画してしまったスマイリーに対し、女性として疎外感を受けちゃったからかもしれません。ってゆーか、物足りないのよ、アンタ! みたいな(失敬!)

ところが「裏切りのサーカス」を見ると、原作において私が物足りなさを感じた部分というのは、単に自分の読み取り不足だったんだということがわかったんですね~。ジョン・ル・カレさん、ごめんなさい。英国の方向いて土下座してあやまります。

「裏切りのサーカス」の監督って「ぼくのエリ 200歳の少女」撮った方じゃないですか。トーマス・アルフレッドソン。どうして全然毛色の違う作品に? と思ってたんですが、起用する側はちゃんとわかってるんですね。本質においてこの両作品にはちゃんと共通点があることを。

「ぼくのエリ」は孤独な魂同士のふれあいを描いた作品ですが、おもしろい部分は主人公の少年が相手が魔性の存在であることに心の底では気づきながら、それでも相手を自宅に招き入れちゃうその心理なんですよね。相手が好きだから、魔性の部分には目をつぶる。災厄を招くと分かっていてもね。

心の底では相手の正体を知りながら、気づかないふりして一緒に遊ぶ。だってその子が好きだから。これ要するに、理性の声に耳を貸さない自我のあり方です。ここで重要なのは、自我は自分に都合良くしか物事をとらえないので、危険が自分の身に及ぶなんて思ってもみない事ね。

「エリ」の場合は二人が互いに相手を思い合っていたのでそれで問題なかったんですが、「裏切りのサーカス」ではそうではなかった。「もぐら」は相手の好意を利用することでサーカスを壊滅に追いやったわけです。みんなが「もぐら」のためにちょっとずつ目をつぶったので彼の姿が見えなくなったのね。

でも、どんなに利用されても彼を愛するのをやめられないという、切なくやるせない思いが「裏切りのサーカス」には満ちているのですよ。この静かな愛の叫びは「ぼくのエリ」でも感じたものでした。この監督の描く愛は悲痛そのものですね。

「裏切りのサーカス」ではその悲痛な愛の深さ、激しさ、苦しさを普段コワモテのマーク・ストロングや冷血そうなベネディクト・カンバーバッチや無頼なトム・ハーディが表情一つで見せてくれるのですよ。ほんの一瞬のシーンなのに、そこにこめられている感情って、一生分なのね。見ててつらくなります。

そしてしつこいようですが、彼らの演技を助けているのが普段と違う髪と服! マーク・ストロングなんてね、髪がない時は頭の形のせいか非情で冷酷な役ばっかりなのにね、薄くても頭髪があるだけで優しさや暖かさが感じられるようになるんだから! そういえば「ロックンローラ」では髪があったわね。

マークが演じるプリドーは原作通り臨時教師で、ビル・ローチ少年とのふれあいもちゃんとあります。実はこの少年が出てきてようやく監督が「ぼくのエリ」の人だったことを思い出したんだよね。ビル・ローチ少年(ちょっとハリー・ポッター似)が本当に寂しそうで、誰か話を聞いてくれる人を求めてて。

プリドーにとってもビルは新参者同士ということで心やすい相手になったわけなんですが、映画で見てるとそのシーンが本当に「ぼくのエリ」と重なるのね。寂しいもの同士の心の交流がどれだけ大切なものであるかよくわかる。

「ぼくのエリ」を見ていると、人は孤独でいるより、相手が魔性と分かっていても友達と一緒にいることを選ぶものだとよくわかるのですが、「裏切りのサーカス」もそうなのですよね。分かっていて目をつぶるのではなく、いつか相手のために身を滅ぼすことになってもいいと受け入れさえする。 

吸血鬼であれスパイであれゲイであれ、正体を明かしてはいけない存在が自分が心を許せる相手に出会ってしまったら、その人を命がけで愛するようになってしまうというのはトーマス・アルフレッドソン監督の方の好みなのかもしれません。映画のリッキー・ターやギラム見てるとそう思えるのです。

「裏切りのサーカス」に出てくる人達は誰もがとても孤独で、その孤独を分かち合ってくれる人を探している。でも例え魂の伴侶のような相手にめぐりあえたとしても、待っているのは悲惨な別れ。それでもその人を愛することに命を賭けて、場合によっては愛に殉じて死んでゆく。ここで描かれている愛は単なる肉体の結びつきを超え、精神のとても深いところで慰撫し合う、互いの孤独を癒すもの。肉体が滅びてもなお魂が求め合う、静かだけれど激しい愛。このロマンチシズムはひょっとすると映画の中だけで語られる、原作にはなかったものなのかもしれません。だから女性が見てもおもしろく、満足できる作品に仕上がっているのかな?

ところで物語とは別に「裏切りのサーカス」は構図が大変おもしろくて、見ているだけで飽きないです。「リアルスティール」の様な絵のように美しい構図じゃなくて、何かもっとこう、見てるとドキドキするタイプ。「アキレスと亀」の建物や小道具の見せ方が丁度こんな感じでした(おもしろさは全然違うけど)。物語は淡々とすすんでいても、スクリーン見ているだけで飽きないんですよね。

 中高年の男性客が多いと書かれていたけれど女性が見ても充分楽しめる「裏切りのサーカス」、主人公のゲイリーは眼鏡、それ以外は大男小男間男間抜け&薄毛前髪色男で見分けて下さい(どれが誰かは見れば分かる)。GWは是非劇場へ!(公開中の地域の方に限りますが)
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「裏切りのサーカス」キャラは「小男大男間男間抜け、薄毛前髪色男」で見分けろ! [Apr. 27th, 2012|07:56 pm]
「裏切りのサーカス」見て来ました! 原作の「ティンカー・テイラー・スルジャー・スパイ」をやっと読み終わったもんで。一応、読んでたおかげで人名に困る事はなかったけれど、読んでない方が楽しめたかも。これから読もうと思ってる方は映画を見てからにした方がいいと思いま~す。

見て思ったけど、そもそもキャラの名前覚える必要ないです。メインキャラ全員見事に異相の持ち主だから見分けるのに苦労しないもん。原作の「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」に当たる人々は「小男、大男、間男、間抜け」に割り振られてます(順不同)。一目で分かる「間抜け」って、スゴイよ。俳優の演技もあるけど、髪と服が彼の間抜けぶりを雄弁に語っているのがもっとスゴイです。

タイトルは元々マザーグースで、本来は「Tinker, Tailor, Soldier, Sailor, Rich man, Poor man, Beggarman, Thief. (ティンカー、テイラー、ソルジャー、セイラー、リッチマン、プアマン、ベガーマン、シーフ)」となります。作品中で使われたのは5人分で、「ティンカー(鋳掛けや)、テイラー(仕立て屋)、ソルジャー(兵隊)、プアマン(貧乏人)、そしてゲイリー・オールドマンが演じたスマイリーがベガーマン(乞食)でした。ベガーマン、字幕でそのまま出てきてまるでラガーマンか何かのようでしたが、「乞食」とはたぶん出せなかったんだよね。

そういえば「裏切りのサーカス」は字幕の役名が全て翻訳の通りでした。英語の発音聞いてると「エスタヘイス」じゃなくて「エスタハース」だったり、「アレリン」じゃなくて「アレライン」だったり(さすが「コンスタンティン」を「コンスタンタイン」と発音する国!)、ギラムがグイラムだったり。

原作読んだ人間には親切な字幕でした。ん、アルウィンがちょっと違ってたかも。ポリャコフがポリヤコフだったかな? う~んベンの名前は呼ばれたのにマッケルヴォアは字幕に反映されてなかったような??? やっぱりもう一回見に行くか!

さて、映画では主役なので、ゲイリー・オールドマンを見分けられない人はいないと思ったので、その他の4人を見分けるのに「小男大男間男間抜け」としたわけですが、この中に無理矢理彼を入れるとしたら「眼鏡」ですかね。劇中、ゲイリー演じるスマイリーが眼鏡を新調する象徴的なシーンがあるんですが、眼鏡を変えることによって実際彼の見栄えが5割り増しぐらいにアップするんですよね。

さて、その「小男大男間男間抜け」の中からもぐら(二重スパイ)を探す役目を仰せつかったのがスマイリーなんですが、あの「レオン」のゲイリー・オールドマンがここでは普通。普通というよりむしろ「無」。自我を完全に消し去って、ただ「知」の機能のみになったゲイリーが素晴らしいのです。

彼がアカデミーにノミネートされた理由はきっとそれですね。あのゲイリーが、感情を暴発させる役をやらせたら右に出る者のないゲイリーが、繊細な感情の変化をつぶさに伝えることに長けたゲイリーが、本作では見事に己を無にしている。そこが評価(?)されたんですね。

ところでこの作品には「裏切りのサーカス」、小男大男間男間抜け&眼鏡のゲイリー・オールドマン以外にも私好みの英国人俳優がめっちゃたくさん出ておりまして、個人的に祭りあげちゃいたい一作でした♪ とにかくどの俳優さんも実に魅力的に撮って貰ってるんだもんね。

もぐら候補達に密かにティンカー、テイラー~の暗号名を与えたコントロール役はジョン・ハート。私つい2週間ぐらい前に「インモータルズ」の筋肉女子試写会でゼウスの仮の姿やってるの見たばっかりだったんだけど! 若手というか後進を育てるべき立場にあって、上手くいって幸福な姿だったのがゼウス(仮)だったとしたら、「裏切りのサーカス」では猜疑心に凝り固まってげっそりやつれた姿になってたのはそれに失敗したってことですね。よくわかる。

ちなみに家では「エイリアン」で若い姿を見たばっかりだったのね、ジョン・ハート。まあここでも若手のエイリアンを育ててましたよね、チェストバスターだけど、自分の腹ん中で。うん。

本編見始めて最初に「あら、このハンサムな俳優さん、誰だったかしら? 絶対見覚あるのに思い出せないわ……」と思ったのがなんと「髪のある」マーク・ストロング!(ジム・プリドー) うお~、いつもは髪のない悪役で凄み効かせるのに、多少薄くても髪があるというだけで普通の人に見えるんだーと驚愕。ヘアメイクさん、すごっ!!

マーク・ストロングは先々週ぐらいに「ジョン・カーター」で髪のない悪役姿を見たばっかりだったのよね。「グリーンランタン」では髪あったかどうか忘れたけど、まあなんちゅーかマーク・ストロングな役だったのよ。家では「シャーロック・ホームズ」での悪役ぶりを愛でてるし。

その、「キック・アス」の強烈なイメージの残るマーク・ストロングが、あのいつも強気なマーク・ストロングが、「裏切りのサーカス」では違うのよ~(絶叫)! えもいわれぬ哀愁を漂わせてくれちゃって、その微妙に弱さをさらけ出してるところが最高に魅力的なのね。うつむいて歩く姿が絶品!


メインキャラでたぶん一番若いと思われるのがギラム役のベネディクト・カンバーバッチ。彼は1ヶ月ぐらい前に「戦火の馬」で見たばかり。さらにNHKで放映した「ミス・マープル」のドラマでも見て、同じくドラマの「シャーロック」を録画したのを週一ペースで見てますわ。

ベネディクトはいわゆる爬虫類顔で今まで美男だと思ったことはないのだけど、何故か好みなのは秀でた額と頬骨のせいかな?ところが「裏切りのサーカス」のギラムってば超キュートなのよ! それは金髪で前髪だから! あのお小姓前髪はヤバイでしょ、反則でしょ! ヘアスタイル全体も可愛すぎる!

ギラムは初登場シーンではスーツの色に合わせるには少々浮かれすぎのような空色のネクタイと同色のポケットチーフをつけてるのね。何回かその姿で出てきて、ある時アップになるとその明るい空色が彼の瞳の色とぴったり同じワケよ。その瞬間、うわー綺麗~~と思っちゃう。

その最初は明るいのを選んでいたタイとチーフの色が、物語が進むにつれどんどん暗くなっていくのですよ。彼の心境がそこに反映されているわけね。映画でのとても重要な役で、原作よりも比重が増してたと思います。スマイリーは考えてるばっかりなので、実働部隊はギラムほぼ一人だから(メンデルはいたけど、なんか後ろに控えてただけ、みたいな。私の好みじゃなかったから覚えられなかったのか? 単に知らない俳優さんだったのかな? 「ハリー・ポッターと炎のゴブレット」のバーティ・クラウチらしいけど、覚えてないや、ごめんなさい)。

ところでベネディクト・カンバーバッチといえば「ロード」&「ホビット」ファンにはドラゴンのスマウグの声をアテるというので有名なんですが、これが低くて美声なんですわ! 彼がワカゾーなのにエラソーな役を得意とするのは、その声のおかげかも♪

ベネディクト、ワカゾーなのにエラソーなばかりではなく、実際に若くても偉い役もやってます。「戦火の馬」もその一つではありますが、極めつけは「アメイジング・グレイス」の若くして首相になったウィリアム・ピット。この作品、「裏切り~」の小男大男コンビも似たような役回りで出てるんだよね。

ロイ・ブランド役のキーラン・ハインズは「ジョン・カーター」で見たばっかし。パーシー・アレリン役のトビー・ジョーンズは「マリリン 7日間の恋」に出演とか(これは見てない)。んでこの二人が「アメイジング・グレイス」にも出ていたわけだ。


トム・ハーディはこの作品に出てると知った時はどの役なのか不思議だったのね。サーカス内部に彼に合うキャラはいないから。でもすぐに思い当たりました、リッキー・ターだって。うんうん、いわば外注部隊の一員であるリッキー・ターならトム・ハーディにぴったりだわ♪

ヘアメイクと衣装が抜群な「裏切りのサーカス」のこと、トム・ハーディは実に色男な髪型になってましたわ。ちょっとワルな雰囲気というかチンピラっぽい安っぽさを醸し出しつつ、そこがまた女性にとってはたまらない魅力というか♪ たぶん、監督もすごいんだと思う。よくわかってる。

トム・ハーディは、先週「ブラック&ホワイト」を初日に見たばっかりでした。家では「インセプション」が週一ペース。「ダークナイトライジング」の予告でも見るけど、これは顔があまりわからないからな~。「ロックンローラ」も大好きよん♪(あ、これにもマーク・ストロング出てる)。

「裏切りのサーカス」ではメインキャラの中でも出番が少ないのに揺るぎない存在感と輝く美貌を誇るトム・ハーディだけど、何故か主役級の「ブラック&ホワイト」では歯並びの悪さばかり強調される撮られ方をしててガッカリだった。監督、彼が英国出身だということをそれで示したかったのか?

トム・ハーディ、「ブラック&ホワイト」では髪型もイマイチだった。悪くはないけど良くもない。それに引き替え「裏切りのサーカス」でのちょっと長目の髪のセクシーなこと! 甘さと非情さの精妙な融合。デスクワークでも、いわゆる真っ当な仕事じゃないってことまで衣装と髪でわかるのだ。

「裏切りのサーカス」ではリッキー・ターの設定に多少の変更が加えられておりましたが、それは枝葉をカットするようなもので本質的な彼の性格はそのままでした。性格じゃないけど180度変えられてたのはギラムね。あのシーンを見た瞬間、色めき立った●女子は私だけではあるまい(映画館で見てね♪)

実は、原作読んだ時点でピンと来てなかった部分がた~っくさんあったんですが、それが映画を見ることで氷解したんですね。その部分をほとんど表現してくれてたのがベネディクトのギラムだったのです。彼のおかげでサスペンスを感じるべき部分がどこだったのか分かりました。

ゲイリーが「静」に徹してる分、「動」を引き受けてるのがベネディクトなんだけど、彼の演技には何度も心を揺すぶられましたわ。シャーロックとは正反対の多感な青年像が新鮮。冷たい顔と激情にかられた表情の対比が最高で、この方どれだけ演技上手いんだと思いましたよ。それがあの前髪なんだから…。

「裏切りのサーカス」きっての色男役はリッキー・ターのトム・ハーディ。原作ではもうちょっと颯爽としてたような気がするんだけど、映画ではベネディクト同様のサスペンス要員。サスペンスを盛り上げるのではなく、彼の脅えそのものが観客にサスペンスを伝えてくれるのです。

「ティンカー・テイラー・スルジャー・スパイ」って、冷戦時代の話で今から40年ぐらい前に書かれた作品なので、やっぱり今読んでるような本とは書き方が違ってるんですよ。作家が読者を信頼してるというかね、読者側の読解力に委ねて敢えて「書かない」部分が多いんだと思います。

最近の本はあまり読んでないんだけど、テレビとか見てるとすごく親切でしょ。「ここ大事」とアンダーラインひいたり「こいつ怪しい」と矢印を点滅させて注意を喚起するような作り方が多いですよ。これは比喩なんですが、「比喩」だといちいち説明しなきゃいけないような、まあそんな感じが一般的。

そういう、一見「親切」な作品ばかりに慣れてたので、「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」は読んでもどこがおもしろいのかさっぱり理解できなかったことをここに告白します。映画を見たおかげで初めておもしろさがわかり、作品理解が深まったような気がします。

ただ、私がもう一つ「ティンカー~」にのめりこめなかったのには別な理由もあって、それもやっぱり時代的な背景のせいなんだけど、メインキャラに女性がいないから。まだ、女性が社会的に男性と対等だと認められる時代の前なんですよ。映画には壁に女性運動のスローガンが書かれてるシーンがありました。「ウーマン・リブ」の時代なんですね。「クレイマー・クレイマー」が1979年だから、まだまだなんだ。

ジョン・ル・カレは「ティンカー~」に出てくる女性達を描くにあたり最高の敬意をもって筆を進めているんですが、でも決してメインには出てこない。スマイリーの妻のアンも出てくるのは名前と美しい容姿であるということだけ。それでも重要な役ですが、読んでても感情移入はできない。

原作で一番よい女性キャラはコニー・サックスだけど、当時コニーが得ていた職って例外中の例外なんだということが、読んでる最中はよくわかってなかったですね。今では当たり前の事がたった40年前には全然違ってたわけで。その当時コニーというキャラを創出したのって、前衛的でさえあったのかも。

不思議なもので小説で読んでると女性キャラが少ないと不満に思うものなのですが、これが映画になると全然問題ないのですね、出てくる俳優達がいい男であれば!「裏切りのサーカス」はその条件3回ぐらいクリアしてますわ。ゲイリー・オールドマンで一回、コリン・ファースで一回、トム・ハーディで一回、ベネディクト・カンバーバッチとマーク・ストロングでもそれぞれ一回……って、5回じゃん!

それにしても女性のメインキャラがホントに少ない。そもそも私がほいっと名前を出せる女優さんが全然出てないんだもん。脇には美人がたくさんいるんですけどね、それでも今ではもう考えられない「男の世界」の話です。これが「007」だったらボンドガールが出てきて花を添えてくれるんですけどね~、「裏切りのサーカス」じゃそれもない。せっかくコリン・ファースが出てるというのに。

しかしコリン・ファースって何でもできる俳優さんですね。ストレート役もゲイ役もどっちも真に迫って見えるから、「裏切りのサーカス」で演じたのはバイという設定のビル・ヘイドン。これは原作でもその記述がちゃんとあります。不思議なのはゲイはひた隠しにされてる感じなのに、バイは何かこう、一目置かれでもしているような書き方な事。バイなら公然の秘密だけどゲイなら口外できない秘密なんでしょうか? 「男としか寝ない」のは許されないけれど、「女と寝るけど男とも寝る」のならOKってこと? その場合は男色好意は一種の趣味としてみなされるのでしょうか? よくわからない世界です。

というわけで原作の中では奥ゆかしく匂わされていた男性同士の愛憎、奥ゆかしすぎて読書中はワタクシ素通りしてしまってたのですが、映画ではそれをきちんと形にして見せてくれたのでした。それでも現代と違って抑制されている分、切なさが強いです。
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ボーン・レガシー日本版特報1 [Apr. 19th, 2012|01:55 am]
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ロード・オブ・ザ・リング一挙上映、指定席券販売開始 [Apr. 19th, 2012|01:28 am]
ロード・オブ・ザ・リング一挙上映、
指定席券販売開始

今年もやります。LOTR一挙上映(もちろんSEE版)は、5/4(金・祝)で決定です。
当日は長丁場になるので全席指定・途中外出OKです。チケットは当館とチケットぴあで販売中ですのでお早めに!

『ホビット』公開前に観ておこう!!
ロード・オブ・ザ・リング SEE版 3部作一挙上映

5/4(金・祝) 9:45~22:30 ※全席指定・途中外出OK
3000円均一(友の会3ポイント)
チケットぴあPコード:559-721


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「ジョン・カーター」も見たんだぜっっ!!(ツイートのまとめ) [Apr. 15th, 2012|06:06 am]
体調がおもわしくないのに「バトルシップ」と「ジョン・カーター」を続けて見たら、帰宅後に寝込んでしまったという……。いえ、どちらも私としては満足したんです。ええ、「アーティスト」よりもこっち系の方がずっと好きなんです。やっぱ男は脱いでナンボでしょー!(←結局そこかい)



ホーホホホ、出し惜しみせずに脱ぐ男、テイラー・キッチュ、キミはエライ! 兄ちゃん役のアレクサンダー・スカルスガルドもきっちり脱いでWでエライ! ホッパー兄弟は古代兄弟を超えたね、ぬぎっぷりのよさで。さあ、「バトルシップ2」では見事美女をゲットして帰ってくるのよ、守(←ちゃうて)。



そうそう、「バトルシップ」には「ヤマト」の影がちらついていたように、「ジョン・カーター」には「ラピュタ」が見え隠れしていたのでした。「バルス」じゃなくて「バルスーム」なんだけど。でも英語の発音を日本語耳で聞いてるとどうしても「バスルーム」に聞こえちゃうのさ~。世界はおかげで安泰だ。

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「バトルシップ」見たぜっ!(ツイートのまとめ) [Apr. 15th, 2012|06:01 am]
巨大「生物」が好きなんじゃない。「巨大」なものが好きなんだ! だから「バトルシップ」も楽しかったぜ! 今年一番(目)の怪獣映画だねっ!



私の巨大生物&無生物=怪獣好きは体の中に脈々と流れる日本人の血のせいに違いない。だってほら、相撲が国技の国だもの。おすもうさん同士の対戦って、そのままウルトラマンと怪獣だわ。ゴジラだってピンで出てたのは最初のうちだけじゃん。



「バトルシップ2」では是非とも両陣営の戦艦に変形してもらって、ツラつき人型になっての一対一でのどつきあいをやって欲しいぞ。この際合体も許す!(←何様)



んっ? それじゃ「トランスフォーマー」と差別化できないかな? まあ、内容はともかく「トランスフォーマー」の方が楽しめるのは絶対人型に変形するからだよね。しかも喋るし♪ む、トランスフォーマー達に相撲取って貰えばそれですむのか??

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「アーティスト」に関するツイートのまとめ [Apr. 15th, 2012|05:51 am]

「アーティスト」を見て来た。とても美しく心暖まる作品で、目の付け所もよければ主演俳優の力量も確かなんだけど、でもどうしてこれがオスカー作品賞よ、という気がする。なんでこれが「ノーカントリー」や「ディパーテッド」と並ぶわけ、脈絡ないだろ、と。「王の帰還」と並んでもわかんないけど。

アカデミー賞はその年のアカデミー会員の投票で決まるものだから作品賞の映画の内容にばらつきがあって当然なんだけど、「アーティスト」と「ノーカントリー」じゃあまりに違いすぎる。選ぶに際して基準もへったくれもないことがよくわかった。全ては会員の好みで、気に入ったか入らないかだけね。

まあオスカーをゲットするための事前運動の成果いかんもあるんだろうけど、そんな賞だからアメリカでの視聴率がじりじり下がってるんだろうな。今年はビリー・クリスタルのおかげで持ち直してたけど、来年はどうなるか。「ダークナイト・ライジング」がからんでくると思うけど、どうなることやら。

その点大ヒットで有無を言わさずオスカーもぎとるキャメロン監督ってやっぱりすごいわ。「アバター」の時は「ハート・ロッカー」にもってかれてたけど。この2作ならどっちが作品賞でも私としては納得できるけれど、ならどうして「ダークナイト」や「インセプション」がゲットできないのかが分からない。

今全米で大ヒット中の「ハンガーゲーム」は来年のオスカーには時期的に不利だけど、それをはね返すぐらいの勢いあるかな? ティーン向けは結局「ハリー」だって「トワイライト」だってかやの外なのよね。ティーンチョイスアウォードの方が正直というか、納得できる受賞結果だったりする。


なんでこんなことウダウダ書いてるかというと、折角見に行ったのに「アーティスト」を見終わって残ったものが何もないからだな、きっと。見ている間はとても楽しかったし、誰でも見て損はないと思うのだけど、それだけ。過去の記憶の一部として珠玉のものではあるけれど、未来につながらないの。

学生の頃英語の文法で「過去完了」ってならったけれど、「アーティスト」ってそんな感じ。過去のある時点で物語が始まって終わるのを現代から時間の流れに沿って俯瞰しているだけ。自分がその世界に入って行ければそこに流れる時間に未来を感じられるけれど、傍観者には過去の出来事は過去でしかない。

普通は過去に始まり過去に終わる物語でも登場人物に感情移入すればそのキャラの生きている世界が自分の「現実」となるので、過去の話の中でも「未来」を感じる事ができる。歴史物でその登場人物の運命や末路を知っていたとしても。でも「アーティスト」でそれができなかったのは何故なんだろう?

それが「アーティスト」がサイレントという今では特殊な手法を用いられているせいなのか、ハリウッドの映画業界という特殊な世界が舞台なせいなのか、キャラクターにも俳優にもさほど魅力を感じられなかったせいなのか……それとも登場人物にリアリティーがなかったせいなのか……。たぶん最後だな。

結局「アーティスト」の登場人物造形って、「ああ、こんな感じの人、確かに昔いたよね」的なパロディとしてしか感じられなかったのよね。過去に生きていた人ではなく、過去にこんな人いたかもしれなかったとして現代に生きる人の目を通して存在しているキャラクター。一つフィルターがかかっている。

結局のところキャラクターにリアリティーを与えられなかったから一種のパロディとして成立させるためにサイレントの方式を使ったのが「アーティスト」なら、「その手があったか!」とポンと膝をうった人も多かったに違いない。一つの手法を開発したという意味ではオスカーにふさわしいのかもしれないね。

なんだかんだ書いたけれど、「アーティスト」を見ている間は心が躍ってたのは間違いありません。退屈もしなかったし。その次に見た「僕達急行」には徹頭徹尾退屈したけど。も~、こんな映画見るぐらいだったら「シャーロック・ホームズ2」の2回目見ればよかったよ~。私の時間を返せ~~!!!

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「ドライヴ」見て来ました [Apr. 5th, 2012|03:23 am]
はい、これは前評判通りの傑作でした。

一見地味で淡々としてますが、その奥に秘められた感情のほむらがひしひしと感じられるのです。今NHKでやってる「平清盛」に見習えといってやりたいぐらい、緩急にすぐれた演出でした(日本でリメイクする時は是非松山君を主人公のドライバーに!)。まあ、時たま観客が眠らないようにという配慮なのか暴力的なショックシーンが入るのですが、CSIを見慣れていればど~ってことありません。その静と動のリズムが不規則で観客からは読めないので次にどう来るか分からず、それがサスペンスを生むんですよね。たとえていうならハイドンの「驚愕」(びっくりシンフォニー)の冒頭部。これを同じ所ばかりリピートすると「清盛」の台詞回しになるんだけど、「ドライヴ」は予想がつかない。或いは予想よりワンテンポ早く来たり遅くなったりと、上手く観客の呼吸を外してくるのでその都度新鮮に「驚愕」できるのですよ。時には観客の予想通りに動いておいて、慣れたところでそのリズムを外してくるとかね。しつこいですが「清盛」はこのリズムのパターンが決まり切っているので飽きるのですよ。少しは外してこいよ!

いや、あたしは、松山君だったら「ドライヴ」のライアン・ゴズリング並の演技はできると思っているので、それだけに「清盛」の単調な演出がつまらなくて彼を生かし切れていないのが残念でならないのですよ。

それにしてもライアン・ゴズリングは上手かったです。
最初出てきて仕事している時の真剣なんだけどつまらなそうな表情がこのまま映画終わるまで続くのかな、と思わせておいて、ある瞬間にそれがふっと緩んで笑顔になるんですよね。それはまだほんの薄い微笑にすぎないんですが、それでも観客もほっとするぐらいの明らかな変化なんです。その笑顔が物語りの展開と共にどんどん深くなり、心から発する笑いになってくると、何故か見ている側までつい嬉しくなって笑ってしまうんです。つまり、この時点で観客はどっぷりライアンに感情移入して彼と共に人生生きちゃってるんですよ。

ほんの僅かな表情の変化でこれだけ観客の心を掴めるのって、すごいなと思いました。笑顔もそうですが、目もね、いいんですよ。それまで無感覚で眠そうな目だったのに、ある時から急に生気が宿る。ああこの人は今生きてて幸せなんだなと一目で分かります。

その表情が再び一変するところから物語りは加速するのですが……ま、これ以上は語りますまい。ライアンの真骨頂はここからです。この人は得体が知れないというのか、正体或いは本性を隠している役が本当に似合うんだわとしみじみ思いました。その上で、優しい目で微笑んでいるのもまた彼(役)の本質の一部であると観客に納得させられるのがライアンなんですよね。元をたどればちゃんと一つの所に行きつく。

というわけで「ドライヴ」、可能であれば是非映画館でご覧下さい。映画好きのための映画です。


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