k_for_kaihua ([info]k_for_kaihua) wrote,

シビラはバリアンに恋をしたのか?

したに決まってんじゃないのよ、あんな美しい男性を一目見て恋に落ちない木石のような女がいるもんかい! 
とオーリファンのワタシは強く思うのだが、ま、ここは一旦私情はおいといて……、と。で、


シビラはバリアンに恋をしたのか?

したのだ、と思う。たぶん彼女が思っていたよりもずっと深く、シビラはバリアンに恋をしていた。けれどもシビラにはもっと大事な目的が他にあったのだ。それはエルサレムを託せる男を探すこと……その眼鏡にかなったのがバリアンだったから、恋とは別にしても必ず彼を手に入れようと思ったのだ。


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のぞき見するシビラ。
                                     バリアン、いい男だもんね。
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バリアンが泥にまみれて民人達と汗を流す姿を見ながら、シビラは彼こそが次のエルサレム王にふさわしい男だと確信したのだろう。それは食事の時にバリアンに言うセリフでうかがえる。
「地面を掘っておられた。まるでエルサレムを築いているかのように」
彼女にとってエルサレムがどれだけ重要なのかはこの時点ではわからない。彼女が何を考えているのかもわからない……バリアンにも、観客にも。だか彼女は何か決断しなければいけない重要な問題を抱えているらしいことがバリアンとの会話でわかるのだ。バリアンにあなたにはギーという夫がいるだろうと仄めかされ
「母が決めた縁組よ。私は15才だった」
と答えるシビラの顔には苦渋がにじんでいる。政略結婚の道具にされただけで、自分で夫を選んだわけではないと言いたげに。

ところでカラクの城から戦況を見つめている時のシビラの瞳が熱を帯びるのは、実はバリアンを見ている時よりも兄弟のボードワン4世を見つめている時なのである。

この二人、劇場版ではほとんど語られないが、実は深く愛し合っていたに違いない、血を分けたきょうだいとして(たぶん)。それはボードワンの死の床で語られる美しいやりとりが物語っている。エルサレムの王家を継ぐ正しい血筋の者として、その立場を理解できるのは互いに相手しかいなかったのだろうから。シビラが愛したボードワンは類い希なる立派な王だった。もはや彼と同等の者しかシビラには愛せない。彼女が愛するのは王たるにふさわしい男でなくてはいけないのである。

それ故シビラはバリアンを是非ともエルサレムで王にしたかった。またそれがエルサレム王女として、彼女が自分に課した務めでもあったのだろう。エルサレムを、ボードワンの築いた今の美しいエルサレムを守る男を夫に選ぶ事が。そしてその男を王位につけて長くこのエルサレムの繁栄を守ることが。もし恋だけで彼女が動いているのだったら、ギーもエルサレムもほっといてバリアンと密通を重ねればよかっただけの事なのである(それはバリアンの方が承知しないかもしれないけれど)。

けれどもバリアンは王の命令に背いてまで、シビラと結婚することを断った。自分の良心が許さないからと。
そうと知って取り乱したシビラがバリアンの元に駆けつけるが、この時点でも何故ここまでシビラがなりふり構わずバリアンに結婚を迫るのかは観客にはよくわからない。たぶんバリアン自身にもよくはわかっていなかったのだ、ギーが王位につけばどれだけ愚かな行為に走るかは。バリアンは新参者だし王宮よりもイベリンで過ごした時間の方が長かったから、ギーの事はイヤな奴だとは思っていても、そこまで馬鹿な事をする人間だとは想像できなかったに違いない。

だがシビラはギーを知り抜いていた。だからこそボードワンが亡くなる前になんとかしなければと彼女も必死で行動していたのに、その気持はバリアンには通じていなかった……それを知った時の彼女の絶望の表情は痛ましい……。その胸の痛みがシビラをあんなにも取り乱させたのだとしたら、やはり彼女もバリアンに恋をしていたのだ。一度は通わせたはずの心がすれ違ってしまった事がそんなにも苦しいのなら、たぶん。

「今に…今にわかるわ。大きな善のための小さな悪だったということが!」

しかしやはり彼女にとって最も重要なことはエルサレムを守ることだったのである。
ボードワンの最期をみとり、エルサレムの運命が彼女の双肩にかかった時、彼女の決断は静かで冷たかった。勝ち誇ったようなギーに、王位が欲しいのならば騎士団の実権をよこすように取引をするのだから。

「妻になります」

という字幕は、彼女がその決断をくだしたことをはっきりと示したものなのである。

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  • 8 comments

[info]pipinatuc

June 24 2005, 11:56:55 UTC 6 years ago

観て来ました

今日、念願のオリジナル版(字幕)を見てまいりました。
で、シビラとバリアンですが、互いに惹かれあっていたのは間違いないでしょう。ただ、二人ともその感情以上に重要なものがあったんだと思います。つまり、シビラにとってはボードワンとボードワンが気づいたキングダム・オブ・ヘブン=エルサレムが、バリアンにとっては妻を天国へ行かせるという使命が。バリアンがシビラとの結婚を拒んだのは、シビラが生身の自分ではなく、国を守るための王女の“相手”として恋している、とわかっていたのかもしれません。でもそれ以上に、彼はまだ死んだ妻への義務を果たしていないので、それを果たすまでは他の人に魂を渡せなかったのだ、という風にもとれないでしょうか?

ボードワンとエルサレムを失ったシビラは、初めてバリアンという一人の男が自分にとって(王女としてでなく)いかに大切な人間なのかがわかったのだと思います。また、バリアンも父、そして王との間に交わした「民を守る」という誓約を果たしたこと、そして、エルサレムを去る前に門の前でシディグ(すみません、役名なんでしたっけ?)からの言葉が今まで彼の中でシビラとの間を隔てていた壁を取り去ってくれたのではないでしょうか。シディグは言います。「あのようなことができたのは、君が神に愛されていたからなのだ」(正確なセリフは忘れちゃいましたが>汗)と。つまり、ここで妻を天国に送り届けることができたと確信したのではないでしょうか。

エンディングで“欲”よりも自分の中にある大切なものを選んだシビラとバリアンは幸せの土地を見出し、馬を駆って消えていく。一方、権力と象徴に選ばれてしまったエルサレムは「1000年経った今もキングダム・オブ・ヘブンには程遠い」というテロップで終わる。

しかし、これ、字幕で観るのは難しい映画だと痛感しました。表情で語っている部分がとても多い映画なので、やっぱり吹き替え版の方がだんぜんわかりやすかったです。イタリアで見ておいて良かったというのが正直な感想。

[info]k_for_kaihua

June 24 2005, 13:25:41 UTC 6 years ago

ワタシはクリスチャンじゃないので

亡き妻に対してどれだけ深くバリアンが負い目をおっていたかというのがわからないんですよね。

妻の形見である十字架をゴルゴダの丘に埋めたことで彼にとっての妻の埋葬という務めを果たして区切りをつけ、地獄でも天国でもない自分の心の中に永遠に彼女が住み続けるということで心の整理もつけたのだと思っていました。バリアンは彼女を永遠に忘れない、自分の一部として彼女と共に生き続けると。彼はいったん信仰を捨てたので、妻を天国へ送るという考えももう持っていないのだと思っていました。

ゴルゴダの丘にいた一昼夜、彼はずっと神の声に耳を澄ませていたけれど、神は何も語ってくれなかった。それ故自分は神の恩寵の外にいるとバリアンが思った事……その深く苦い思いというのは、やはりクリスチャンじゃなければ真に理解できないのだと思います。そういう彼がもう一度信仰を取り戻す喜びという点については全く思いも及びませんでした。信仰の重さというものを考える視点がちょっと抜けていたようです。でもどうしてもわからない部分でもあるんですよね。

「神に愛されていないのなら、あれだけの事ができたはずはあるまい」
という言葉については、日本では語るのが難しい……「神」という言葉にまつわる観念が、非常に曖昧だからです。とても安易な意味に受け取られがちなんですよ。それこそここでは「主」とかにすべきだったかもね、字幕。

[info]pipinatuc

June 24 2005, 18:43:19 UTC 6 years ago

いんやー

あの丘に十字架を埋めた時は、妻はまだ地獄にいるんじゃないかという不安に苛まれていると思います。少なくても、あの時のバリアンは「自分の中で彼女が生き続ければいい」と信じようとしても信じ切れなかったはず。何たって最も宗教にがんじがらめだった中世真っ只中の物語ですもん。私はあのラストですら、「妻は自分と共に生き続ける」というよりは、むしろ天国に送ることができたからあそこで彼女に完全に別れを告げたんじゃーないかと感じました。

でもまあ、私はこれで2度観ただけで、まだまだ見落としているところもたくさんあると思うし、字幕と映像の両方観てたせいか、どうも映画に集中しきれなかったところもありまして…(字幕に不慣れになってしまったんです>涙)。そうそう、イタリア語のオーリの吹き替えは、声はやっぱりちょっと違うんだけど、すごくうまかったと思いました。

[info]k_for_kaihua

June 25 2005, 01:11:07 UTC 6 years ago

「コンスタンティン」でも

コンスタンティン、地獄に落ちる運命なのをとても恐れていましたもんね……やっぱりクリスチャンじゃないものにはその地獄と天国の感覚って遠いものがあります。

ただまあ、ワタシは全部理詰めで考えるわけですけど、あのお馬さんを貰う前にすでにバリアンはシビラに
「女王をやめる決心をしたなら、ともに生きよう」
と言ってるわけですから、その時点で奥様のことはもう気持に整理がついていたと思うんですよ。エルサレムを天国の王国としてそれも頭と心の中に持ち続けることができると言った後で。だからその時点で妻の贖罪は果たされたと思ったのではないかとワタシは考えるわけで。

あんまりね、物語の後半バリアンは奥様ひきずってないです。それをいつまでもひきずってると物語としては(特に2時間半の映画だと)込み入り過ぎちゃうので。作り手側としてはゴルゴダの丘の時点で亡き妻への思慕はというモチーフは終わりにして、次の段階に進みたいんじゃないかな、と思うわけです。

バリアン、ちゃんと妻の亡骸のある場所に別れを告げに来ますから、決して忘れたわけではないのですけどね。

なんとゆーか、ワタクシ、バリアンがオーリなもので、「亡き」であっても「妻」なんて存在の事考えるのが死ぬ程イヤなんだと思います。それでいっつもすっぽりその存在を抜かして考えてるんだな、きっと……。最初に死んでてくれてよかったというか……。



[info]nezukai_masaki

June 25 2005, 03:29:40 UTC 6 years ago

いや、わたしはむしろ……

亡くした奥さんのことはずっと気にかかっていた、と思いたいですねえ。
愛情深い男であって欲しいので。

バリアンには奥さんの自殺を防げなかったことに対する罪の意識がずっとあって、イベリンの開発に尽くしたのも、エルサレムの市民を守るために必死になったのも、その「罪ほろぼし」だったと思うんですよ。

彼はやっぱり、死んだ奥さんと自分のための『救済』を、ずうっと求めていたんだと思う。あの丘で神に祈ったけど、神は答えてくれなかったので、彼は神からは救いを得られなかった。だからなおさら、民のためにつくしたのではないか、と。
自分の努力で他の人が喜んでくれるのが、彼にとってなによりの『救い』になったんだと思います。
神から得られなかったものを、彼は人から得たんです。
だからこそ最後の籠城戦で、「神の教え(=聖職者の言うこと)にそむいてでも、人々を守る」という決断ができたのだと思う。そもそも聖職者の口にするガチガチの教義が、本当に神の意志なのか、という懐疑精神も彼の中には育っていた。

でもシビラから口説かれた時点では、彼の心はまだ十分に救われていなかったので、「自分みたいな男が富と権力を手に入れたり、幸せになったりしちゃいけないんだ」と思いこんでいたんじゃないでしょうか。
バリアンもイベリンが緑豊かになって行くのを喜んではいるんだけど、でもまだずっと心のどこかに不幸と罪の意識を引きずってるように、私には思えました。彼はほほえみはするんだけど、心から幸せそうじゃない。


エルサレムで必死で戦って、サラディンとの和平が成立して、なんとか生き残った人々の安全が確保できて……そしてやっと、彼は贖罪がすんだ、自分も救われたと思った、そしてようやく、自分も新しい愛と幸せを見つけてもいいんだ、という心境になったんじゃないかと私は思います。
イマドから「神に愛されていなかったら云々」と言われる前に、気持ちの整理はついていたと思う、という点では同意見ですが。


……要するに、私はケイさんとは逆の発想で、オーリ=バリアンが「亡くした愛妻のことをさっさと忘れるような、薄情な男であってほしくない」と思ってるんですね(^^ゞ。
シビラと一緒になっても、前の奥さんの墓参りは欠かして欲しくない、と思ってますもん(笑)。

[info]k_for_kaihua

June 25 2005, 03:58:55 UTC 6 years ago

しかし

墓参りという発想、ないでしょ。むこうは。わりと埋葬したらそれっきりっていうか(ユダヤ教はそうでもないらしいけど)。ま、それはどうでもいいんだけど。

亡くした人のことは遠くなりますよ。それは忘れるんじゃなくて自分の血肉にとけてしまうの。バリアンにはいちいち「妻のため」という発想はなかったようにワタシには思えたので、奥さんのことを自分の中に吸収しちゃったんだな、と思って。

贖罪という観念の中に、父も妻もまとめてしまっていたんじゃないかと……とにかく「贖罪」を果たそうと一生懸命だったように思えましたね。

[info]nezukai_masaki

June 25 2005, 05:33:02 UTC 6 years ago

そうですね

結局、人は作品の中に自分自身を見るんだと思う。
品性の下品な人は、どんな芸術品を見ても下品な受け取り方しかしないしねえ(苦笑)。

じつは私の場合、母を食道ガンで亡くしたあと、一緒に住んでいてどうしてもっと早く病状に気づかなかったのかとか(発見された時点で手遅れだったのです)、生きてるうちにああすればよかったこうすればよかったとか、悔やむことが非常に多くて、立ち直るのに何年もかかったのです。
自分がもっと気づいていればもっと長生きできたのではないか、自分のせいで寿命を縮めてしまったのではないかという罪悪感がつきまとって離れず、「親が死んだのに楽しんでは、死んだ親に申し訳がない」という気がして、何をしても楽しめないウツウツとした日々が続きました。

自分は自分で楽しんでいいのだ、自分の人生を楽しんでも罪悪ではないのだ、と思えるようになるまで、本当に時間がかかりました。

だからバリアンを見ても、そういう風に感じてしまうんですよ(苦笑)。

これは私の、非常に個人的な事情なので、ケイさんが違う感想をお持ちなのは当然だと思います。


エルサレムが陥落したあとのバリアンは、重荷をおろしたというか、さばさばした表情に見えましたね。
とにかく、あれで彼の人生にもひとくぎりついたことは間違いない。
残りの人生は幸せになって欲しいですねえ。それまでが不幸すぎるので。

[info]k_for_kaihua

June 25 2005, 16:32:32 UTC 6 years ago

ワタシが亡くしたのは親じゃないけど

でもそのお気持ちはわかりますよ。
自分に何かもっとできることがあったんじゃないのかという、悶々とした思い、自責の心はね。

でも自分にはどうしようもなかった事をいつまでも思い悩んでいてもしようがないので。他に今自分ができることをすべきだろうと。ワタシがバリアンに感じたのはそういう懸命さだったわけで。悩むよりも行動というかね。その方が人の役に立つし。

ワタシが一番好きなバリアンは、最後のシーンでほころび始めた花に愛しげに手を触れるバリアンです。最初のシーンで凍てついていた彼の心がやっと解けて、新しい命の誕生を思わせるシーンだから。彼は原点に戻ってきて、そしてようやく新しい人生への第一歩を踏み出せた。それまで彼が囚われていた死を乗り越えて、ようやく再び生の道を歩み始めたバリアンの姿が、あの映画の中で一番美しいと思えるからです。
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